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ミュークルドリーミー 第17話 「恐怖のプチトマトマン」 感想

ミュークルドリーミー 第17話 「恐怖のプチトマトマン」 感想

波のように押し寄せる苦手なトマトの大群から逃れる術はなく…!

悪夢のような現実!夢と現実の両方からゆめを苛むプチトマトの恐怖!

トマトが苦手なゆめに対してこれでもかというくらい続く怒涛の責め苦!プチトマトマンを筆頭に全方位からあの手この手を用いて、画面を覆い尽くすかの如くトマト一色で染められる悪夢のような光景に、作中のゆめだけでなく視聴者である我々も恐怖を抱かざるを得ない。ある種の狂気が標準装備の本作基準で見ても、より強い狂気を孕んだ画面構成にすっかり魅せられ…やられてしまう。

本来は味方であるはずのみゅーちゃんも、ゆめの為を思えばこそ悪気なくトマト責めに図らずも加担する形になってしまい、夢と現実の両面からゆめを追い詰めてしまう始末。

また、ゆにのパワーアップしたブラックアビスの影響で、本来は夢の中の存在であったはずのプチトマトマンが現実世界に召喚され方方で暴れまわったことと、本編のマジキチ具合と怒涛の勢いで圧倒される中、どこからが夢でどこからが現実なのかの境界も次第に曖昧となり、混沌と狂気と恐怖の度合いをより強いものへと昇華してくれていた。

基本はネタ要素満載のぶっ飛んだカオス回でしたが、この夢と現実の境界が曖昧になる点に関しては、今後の物語においても重要な位置づけにくる要素だったのかもしれないですね。同時に苦手な食べ物に対する現代的なアプローチも試みられていて、そこは昨今の事情を汲んでいる女児アニメらしさを感じられる回でもありました。近年だと「ここたま」でも似たような食育に通じる回があった。

少し前だと嫌いな食べ物を克服することが良いこととされるのが一般的で、最終的に好きになるという展開も多かった気もするが、本作では精神的にやられる程に苦手な食べ物と向き合いつつ、頑張って食べてみたけどやっぱり苦手なものは苦手という挑戦の部分に焦点を当てて、大人であっても苦手はあるという感覚を親子の間でしっかりと共有し、味覚は変わることもあるから今は無理して好きになることもないということを分かち合う形で終着させていたのがとても良かったと思います。

そういう意味で時代に即した教育的側面を反映した回でもあったかなと。ことこ先輩の家にお邪魔した回の教育論の時にも似たようなことを感じましたが。

あとこれは全くの余談だけどリアルで私の唯一苦手な食べ物がトマトなこともあって、今回は二重の意味で悪夢のような濃さを突きつけられる屈指の狂気回として刻まれました。このプチトマトマン回は生涯忘れることはないだろう…。色んな意味でね。大人になって味覚が変わっても克服できなかったトマト。故に苦手でも挑戦して向き合ったゆめちゃんは、それだけでとっても凄いし偉いと思うのです。尊敬!

好みも苦手も人それぞれ!無理のない範囲で向き合っていこう!

ゆめのトマト嫌いと同じレベルで納豆嫌いを公言しているまいらですが、彼女にしてもやはり苦手を無理に克服するという流れにはならず、折に触れて向き合おうとはするんだけどやっぱり苦手なものは苦手というスタンスを崩すことはない。食に困ることのない裕福な時代になったからこそかもしれないが、ビタミンB2リコピンを柿やスイカで補おうとしたくだりにもあったように、無理を通して苦しむのではなく代替案を模索し自分に出来る形で向き合う姿勢も大事なことかもしれない。

食に限らず苦手なことは誰にでもある。単なる食わず嫌いではなく苦手と向き合い、克服しようと挑戦する姿勢は尊いものだが、それらは強制ではなく自発的な意識から生じなければ意味がない。納豆が苦手なまいらちゃんだから、トマトに苦しむゆめちゃんの気持ちに共感出来る。自分に苦手があるように相手にだって苦手なことがある。その事実を認識し他人の苦手に寛容であることのほうが、よほど大事なことなのではないかと思ったりするわけだ。

もしかして杉山先輩フレプリ見たです?

ゆめの夢や妄想に出てくる杉山先輩が、トマト片手に「もぎたてフレッシュ」を連呼してくるものだから、プリキュア勢としては反応せざるを得ない。「ピンクのハートは愛あるしるし!もぎたてフレッシュ、キュアピーチ」。杉山先輩はフレッシュプリキュア勢の中でも桃園ラブさんを推しているとしか思えなくなってきたよ。でもそれも仕方ない。だってラブニキ格好いいもんな…!