魔法つかいプリキュア!!~MIRAI DAYS~ 第8話 「ことはとひすい」 感想

互いを思い合う気持ちで繋がる家族の形に希望溢れる未来の可能性を見る。




再び同じところに集結したみらい達の日常生活の描写の中に、悲しい別れを乗り越えた先にある幸せな光景や希望に溢れる未来の可能性を見た思いでいっぱい。いつもと比べて特別凄いことが起こったわけではないかもしれないが、大切な人と共に過ごす何気ない時間の中に他の何物にも代え難い大切な要素が詰まっているのは、家族の物語でもある本作まほプリらしさを感じるところであり真骨頂と言えるかもしれない。
魔法界とナシマホウ界の繋がりが絶たれ皆が離れ離れになっていた空白の時間。今までは主にみらいの視点でそれが描かれていたんだけど、今回はリコとはーちゃんがその期間に何を思い再び巡り合う為に何をやっていたのかが補完されているのが有り難い。離れていても心は繋がっていて皆が互いのことを思い合うことで感じられる目に見えぬ確かな繋がり。
まほプリは願い=魔法が根底にある世界観と繰り返し言ってるわけですが、魔法界とナシマホウ界が再び繋がり、みらい達が大切な人と再び巡り合うことが出来たのも、それを強く願う気持ちがあればこそであり、その願いが奇跡とも呼べる事象を引き起こす原動力ともなっているのです。その願いとそれに基づく行動の果てに希望に溢れる現在という時間が待ち受けていたわけで。
死別とは異なる形かもしれない。それでも異なる世界間の繋がりの断絶という絶望的な状況を乗り越えて、奇跡のような時間だった在りし日の光景。過去に縋るのではなく、それを原動力として力に変えて希望に満ちた現在を。あの時のみらいやリコにとっては未知数であった不確かな未来を掴み取った現在のプリキュア側の状況は、アイルとは対照的な在り方を象徴するものでもあると。
両親を失い孤独に苛まれあのような凶行に走ったアイルとは対照的に、本当の家族以上に家族のような絆を育み一つのコミュニティを形成しているみらい達。そんなプリキュア側の在り方は、石化してしまったアイルにとっても一つの可能性を示しているのではないかと思う。
繋ぐ手と手が道しるべ。みらいとの再会を願い焦っていたリコに対し、校長先生も「一人で抱え込むでない」と助言を贈ってくれていましたが、他に心許せる相手がおらず手を取り合うことが出来なかったアイルに、もしそういう相手がいたのなら。みらいやリコを見守ってくれていたはーちゃんのように、彼のことを思って見守り支えてくれる特別な相手がいてくれたなら。違った道や今の姿もあったかもしれない。
今回みらい達が過ごしていた日常生活の光景は、そんなアイルのあり得たかもしれない現在や手に出来なかったもの。翻ってみらい達が手にしたそれが如何に尊いもので得難いものなのかを如実に訴えかけるものであったように思えるのです。
悲しき別れの先にある再会の喜び。希望。それに向けて動くことで叶うかもしれない未来の可能性。それを身を以て知っているからこそ、直接対面を果たせずとも彼女達ははーちゃんの中にいるひーちゃんの存在を感じられるし、同じ思いを抱く大切な相手と一緒にいられる今の時間を大切にすることが出来る。心の繋がりと鍋を囲むことで生まれる輪の繋がり。
それにより生まれる温かみこそが全てを物語ってくれている。はーちゃんの中にひーちゃんがいる。直接対面しているわけではないかもしれないが、会えなくても感じられる確かな繋がり。家族の一員として確かに今ここにいるのだと感じられる温かみ。それがどのような意味を持つのかということを、これまでのまほプリが描いてきた家族の形を軸に描き出してくれていたと思います。
特別な凄いことではなくありふれた日常の中にある確かな幸せ。約束していた念願のすき焼きの味と共に、それを噛みしめるのです。その幸せの味と皆と一緒にいられる温かみがもたらす熱量。まさにプライスレス。






あまねく生命に祝福を!キュアフェリーチェ!ということで魔法の力を失ったはーちゃんも、マザー・ラパーパやひーちゃんから託された思いを今一度受け取り、ひーちゃんとの繋がりを感じ取ったことによって無事に復活!その復活に至るまでのプロセスもまた素敵なものがありました。
手と手を繋ぐことで生まれる力や絆。これはまほプリだけに留まらず、全ての始まりでもある「ふたりはプリキュア」から見てですね。シリーズ全体を通して特別な意味合いを持つ事柄でもあると思うのですが、エメラルドのプリキュアであるフェリーチェは、ミラクルやマジカルとは異なる特別な立ち位置で。彼女らのように手を繋ぐことで変身するタイプではなかったのですよね。
それもあって今回はひーちゃんとの繋がりによって力を取り戻したというのが良いなと。彼女と手を取り合い、その願いを受け取り繋がったことで再び発現した魔法の力。自分の中にいるもう一人の自分。ひーちゃんの存在を確信し、同時に祝福を受けるように後押しされたことで再覚醒を果たす流れがもう堪らなかったのです。はーちゃんの中にひーちゃんがいる。
「あまねく生命に祝福を」という彼女を象徴するフレーズ。それが持つ意味が一際重みを増した印象も受けるキュアフェリーチェの変身シーンでした。








夜に皆でカップラーメンを食べたり、ご近所にある銭湯に通ったり皆で一緒にお鍋を食べたり等々。本当に特別なことではない平穏な日常描写。でもこの生活感のある描写が好き。そして、もっと見たいと思わせてくれるのもこの普通でありふれた光景が如何に尊く得難いものであるかを、私たち視聴者はみらい達と同じように知っているからだろう。だからこそ噛み締めてしまうのです。
リコが二人乗りの箒の操縦に苦心して落っこちてきた際に、「落ちてないし!」というお馴染みのフレーズを発するシーンも回収してくれましたが、そういった日常の中にあった些細な光景を、今こうして目の当たりにすることが出来る事実。それがどれだけ幸せなことかというのを、これでもかというくらい訴えかけてくるシーンでもあったと思います。
劇的な再会もそこそこに、ひーちゃんのことやアイルの一件もあって、緊張感のある展開が続いていて心を落ち着ける機会が中々なかっただけに。こういうのを本当に見たかったので、ほんの一時とは言え心穏やかでいられる時間があって本当に嬉しかった。別れの先にあった喜び。一度別れたからこそ実感できる大切な人と共に過ごす日常の有難み。存分に味あわせて頂きました!