いつか必ず訪れることになる大好きで大切な相手とのお別れの瞬間。
人と動物との楽しく幸せが伴う素敵な触れ合い。動物たちとの共生をテーマに掲げる本作わんぷりにおいて避けて通ることはできない。人が動物を飼育する上で絶対的に立ちはだかる命題とも言える死別を扱った内容であり、大人になった今の自分が見ても本当に色々な観点から考えさせられることがある。そんな非常に重みのあるメッセージ性に富んだ回でした。
可愛らしくて愛らしく一緒にいると幸せな気持ちになれる。動物を飼うことは楽しいことで一緒に暮らすことで得られるものも大きい。命の重みに触れること。生き物を育み共に過ごす中で芽生える責任感。子どもの自立心を促し心身ともに健やかに育つ一助となることもあるだろう。ただ、当然生き物を飼うことは可愛くて楽しいだけではない現実的な側面が常に伴うものでもある。
金銭的なこともあるし汚物の処理もあれば老いて可愛くなくなったとか飽きたからと言って無責任に放棄することも許されない。綺麗事だけでは済まない現実があって、その上で共に生きていく覚悟を持った先にある幸せや楽しさという観点は、知識としてはあっても実感を伴う機会は限られるし、往々にしてスルーされてしまうことも多いところです。
まして女児アニメであればそこを避けたとしても致し方なしとされる向きがあることも事実。でも、本作わんぷりではそこから目を背けることなく真正面から向き合ってくれたことが嬉しいし、動物と共に生きていく中で直面する悲しいことや苦しいことをしっかりと描き出してくれるからこそ、普段主要キャラ達が口にする楽しいや嬉しいと言った感情が表面的なものではなく、生の実感を伴い説得力のあるものとして映し出されるのだと思います。
プリキュアシリーズという括りで見ても、死生観をここまで直接的に扱った前例はほぼなかったと思いますが、人と動物が共に暮らすという我々の現実で身近にあるものを描く本作だからこそ、お鶴さんとフクちゃんのお別れは刺さるものがあるし、作中のキャラ目線で見てもペットを飼っているのが共通しているアニマルタウンの住人故に、他人事ではなく当事者として自らも何れは直面することとして受け止められるし共感することが出来るのだと。
だからこそ、これだけ重みのある雰囲気とメッセージ性が生じるのではないかと感じるわけです。とりわけ人と犬の関係性を築く犬組の二人。こむぎといろはにとって目の前で起こった避け得ない別れ。死別はなおのこと考えさせられるものがあったと思うし、映画わんぷりでこむぎといろはが言っていたことを思うと、より突き刺さるものがあったのではないだろうか。
勿論いろはだって動物病院の子だし、こむぎを飼う上でいつかはその時が来ると漠然と考えた事はあったと思う。ただ、それを今の段階で自分事として捉え本当に覚悟を持てていたのかと問われるとそれも難しいことだろう。前の犬である鈴ちゃんとの死別を経験した上で今一度フクちゃんと暮らすことを選んだお鶴さんと、初めての愛犬こむぎを飼っているいろはでは立場も経験も前提も諸々異なる。
それもあってのいろはの感情の振れ幅であり動揺なのだと。知識としてはあっても実際にその時が訪れると想定とはまるで異なる現実。死によってもたらされる絶対的な別れと感情の揺らぎ。それは飼い主とペットの枠組みに収まらず、人間に虐げられたた狼が味わった絶望や悲しみへと結びつくものであり、それらの感情を味わった上でいろはが導き出す答えは、今までのものより一歩踏み込んだものにもなるのだろう。
そういう意味でも構成や表現の巧さが光る回だと思えましたし、いろはの焦りや動揺が目に見えたからこそ、逆に落ち着いた様子で含みもなく素直で純粋に思いを伝達をするこむぎの姿も引き立つ。女児アニメで、プリキュアで死別を描いたから凄いではなく、本作の題材を描くにあたって絶対に避けては通れない命の重み。
命は有限であるからこそ尊いものであり、だからこそ大好きな相手と一緒に笑い合える今の時間が。全力で楽しむことが如何に幸せなことかを。共に積み重ねた幸せな時間は死が双方を分かつとも失われず残り続けることを。ペットにとっても人にとっても絶対に避けられない死と真正面から向き合い描いてくれたから凄いと思えたのです。
寿命が大幅に異なる種族。その違い。それでも一緒に生きていくことの意義。動物との共生について改めて考えさせられる回でした。いつも以上に長文になって纏まらなかったけど、それくらい深い衝撃を受けたということで。
基本的には現存する動物たちを素体として生み出されるガオガオーンなので、絶滅した恐竜の中からティラノサウルスがいきなり出てきた時は若干場違いかなという印象を受けたのですが、上述した狼達との絡みを思うと納得出来るところもあるというか。突如として降り掛かった圧倒的な力を前に、為す術もなく一方的にねじ伏せられる恐怖。目の前に立ちはだかる理不尽とも言える現実の壁。
わんぷり史上最大の危機と言って差し支えない程に追い詰められていた今回のプリキュア一同でしたが、これってかつて人間たちが狼達にした仕打ちそのものではないかと思えるところもある。何も悪いことをしたわけではないのに力によって絶滅の危機に瀕する。その力が隕石であるにしろ人間の力であるにしろですね。圧倒的な力によって虐げられたという点においては、恐竜と本作の狼には通ずるものもあるのかなと。
だからこそというわけでもないのですが、ティラノサウルスが引き合いに出されたのもそういう理不尽さを象徴する為だったのかなと。それを同じく理不尽な力でねじ伏せられた本作の狼の一人であるトラメが仕掛けた上で、憎き仇敵である人間をあと一歩のところまで追い詰めながら、同じく抗うことの叶わない死に直面する同胞のフクちゃんの瀕死の姿を見て、自分から思いとどまり手を引く判断をしたからこそ大きな意味を持つシーンだなと。
この時に彼の心のなかで芽生えた葛藤は察するにあまりあるものがあるが、人間に対して確かな憎しみを向けることがある一方で、主であるガオウと同じく動物たちには慈愛の心を持って接しているところ。何より彼の中では楽しく遊んでいるという感覚も見え隠れする中で、この逡巡の果てにトラメが何を見出しどのように行動することになるのか。今回の件を経てトラメとどう向き合うのかは本当に見ものだし次回が楽しみです。
今回のお鶴さんとフクちゃんのお別れは、視聴者だけでなく登場人物全員にとっても辛く悲しいものでしたが、その中でもやっぱり同じワンちゃんを飼う者としてですね。犬組であるこむぎといろはにとっては、殊更大きな出来事であったと思います。いろはにとってはフクちゃんも幼少期から一緒に遊んだ相手というのもあって思い入れのある子だったというのもあるでしょうが。
上でも少し触れましたがやはりいつか大切な愛犬が死ぬ時が訪れて、お別れをしなくてはいけない時が来る。それは知識としては持っているものだと思うけど、やはり自分事として実感を伴う形でそれを意識出来るかといえば話は別なのだと思います。ましていろはにとってはこむぎが初めての愛犬で、自分の最愛の相手とお別れする経験なんて今までしたことがないのだから無理もない。
大切な相手とのお別れという意味では、映画わんぷりでも触れられたところで、あの時は一時的なものだったんだけどそれでもいつかは来るその瞬間を意識させられたことは間違いない。それだけにこむぎの「お婆ちゃんになっても一緒にいる」という台詞や、いろはの「ずっと一緒にいる」という台詞が、映画の中でも象徴的なフレーズとして印象に残るものになっていた。
そういう経緯があっただけに今回のお鶴さんとフクちゃんのお別れシーンが、より鮮烈なものとして二人に突き刺さるところはあったと思います。今回の件を経てこむぎといろはの関係性にも変化が表れたりするのか。そこもまた気になるところです。