いろはとまゆと悟の貴重な犬猫兎の体験騒動!
開幕から状況説明もないまま犬と猫の姿になっていたいろはとまゆを見ただけでもギャグ回の気配が漂っていた感じがしますが、よくよく見直してみると物語の本筋に踏み込んでいる要素に溢れていて、ただ単にドタバタ騒動が楽しいだけの回ではなかったことも分かってくる。勿論ここ最近は内容が濃かったり重めの回も多かったので、コミカルな感じが全開な今回のような内容が純粋に楽しいのも間違いない。
ニコ様のやらかしもあって犬と猫の姿になったいろはとまゆでしたが、自らがそれぞれ飼っている動物の特性や本能を身を以て体験したことで、彼女らの目線に立ち知っていたつもりの動物のことに対する理解を更に深めることに繋がっていましたし、まさに体と体をぶつけ合うが如く直に触れ合うことで、心と身体でより密接に繋がることに通じていたと思います。
かつて絶滅した狼を供養する為に建立された遠吠神社の社。その朽ち果てた今の姿。それは人間の所業を悔い彼らを偲ぶ優しき人間が居たことの証であるのと同時に、長い時の流れの中で人間がそのことを忘れ彼らを思い奉る気持ちを失ったことの証でもある。ガオウたち狼が怒っているのは、かつての人間の行いだけでなく、それをなかったことにするような人の身勝手さ。それも含めてのものであることが改めて示された。
また、今回のトラメの数々の反応を見るに敵対している彼も楽しく遊んでいるという感覚はあって、触れ合いによって通じ合える余地と言いますか。人間に対する恨みつらみが容易に消えるものではないと理解しつつ、心と身体を重ね合わせることで融和できる可能性を、ワンニャン大事件を通じて示唆してくれていたと。そう思えるのです。同時にトラメが遊ぶ楽しさを知らない幼き時分に人間に滅ぼされた悲しき業を背負った子供であることも示していると思うと物悲しくもあるのですが。
ガオウと直に対峙し狼たちの深い恨みに触れ、また人間が犯した所業を突きつけられた上でね。それでもガオウとちゃんと話したいという明確な意思を見せたいろはにとって、今回の動物体験はその目標に向けての後押しになるものでもあったと思うし、今回の一件によっていろは達が体感したことは、これから最終盤に向けて動き出す物語の中でも非常に大きなウェイトを占めるものがあったのではないかと。
もちろん本筋の要素とは別にいろはやまゆが動物の本能に振り回されて翻弄されている姿は素直に面白かったですし、こむぎやユキと立場が逆転してお世話されているように見えるのも新鮮でした。最後には悟も兎の姿になって普段とは真逆の運動能力の高さを見せてくれていましたし。惜しむらくは兎の姿になった彼と大福が一緒にいるところや、彼との絡みを本編の中で見ることが叶わなかったことくらいだろうか。
何はともあれいろはの口から今後のガオウたちに対する向き合い方。そのスタンスと意思をハッキリ見ることが出来たのは大きかったし、なんだかんだで一息つける楽しい回だったのは素直に嬉しい。わんぷりも既に終盤に差し掛かり今後は本筋に踏み込みシリアスさも増していく段階まで来てるだけにですね。今週や来週のような日々の生活の中にある物事を素直に楽しめる回と言いますか。残り少なくなってきた日常回を余すところなく堪能していけたらいいな。
精神安定の為に猫吸いを行い、相手を弄ぶが如く猫じゃらしを使って相手を翻弄する。これまでまゆがユキに対して行っていた数々の行いを、今度はユキがまゆ相手に行い、ご満悦の表情を見せてくれているのが堪らないのです。猫組二人に関しては立場や攻守が逆転しても変わらず画的に映えるものになってしまうからズルい。
猫パンチを食らわされても愛おしい。猫まゆを見守るユキの慈愛に満ちた眼差しが全てを物語っていて素晴らしい。
こむぎと同じ目線でドッグランを駆け回るいろはも生き生きとしていて良かったですが、恋人が犬の姿になっていても変わらぬ眼差しを向ける悟もやはり良い。周りの犬にまでモテているいろはを見た時の反応や、反射で喋ってしまったことで慌てる姿もまた味わい深いものがある。咄嗟のことで尚且つ犬の姿になっていたからこそ抱っこすることも出来た側面もあるので。
そうでないと手を繋ぐ以上の身体的な接触はなかなか出来ようはずもないので、これはこれで役得ですし怪我の功名と言えるだろうか。動物の本能に従って嬉しさを尻尾を全力で振ることで表現してしまったいろは。照れや恥じらいもあって普段はなかなか伝えられないことを、結果として素直に伝えられる。これも人の姿のままではなかったことの一つと言えるだろうか。
ともあれ姿形は変わろうとも互いを意識し大切に思い合うこむぎといろは、悟といろはの在り方は変わらない。色んな意味でご馳走様でした!