
現実を知り立場が変わった今の自分だからこそ見えるものがある。




かつての補習メイトの三人や闇の魔法つかいの皆さんが勢揃いし、さながら同窓会のような懐かしさに浸るのもそこそこに、情勢はより混迷を極め過酷な状況に追い込まれていく。ケイ、ジュン、エミリーの久しぶりの交流。立場は変われど今もそれなりに楽しそうにしているヤモーやバッディの現況。しかし、当時とは明確に異なる今を見せられるからこそ過ぎ去った「あの頃」への甘い誘惑もより一層際立つ。
補習メイトの三人は夢を叶えて、あるいは夢に向かって邁進する日々を送りながらも、その実態はうだつの上がりきらない現状。特にケイは理想とは程遠い現実に直面しており、夢を見出した頃の充足感に満ちた日々とは比べるべくもない鬱屈とした感情を抱えている姿も描かれている。立場的には半ば夢が叶ったとも言える状態だが、自分が思い描いた理想の姿とは異なる今の姿と現実とのギャップ。
実態との齟齬が過去に対する後ろ髪を引かれる思いを生じさせる要因にもなっている。何も知らないからこそ純粋に夢見ることが出来たかつての自分。それが素晴らしいものであると信じ、明るい未来が訪れることを根拠なく得られると思い込み、迷うことなく邁進出来ていたから得られていた心の充足感。かつてあったはずのそれらは、今や無情な現実によって失われたとも言えるのである。
そして、それは闇の魔法つかいの皆さんにおいても言えること。四人の中でも特に力の大半を失ったガメッツとスパルダの二人は、今は時間限定でかつての姿を一時的に取り戻すことが出来ていたけれど、かつて栄華を誇った全盛期の頃とは比べるべくもない程に衰えていると見ることも出来る。かつてあったはずのもの。得ていたはずなのに失い、取りこぼし二度と手にすることが出来ないもの。
それを追い求めてしまうのはやはり生きとし生けるものの性であり、それが再び得られるという甘い誘惑に抗うことは非常に難しい。校長先生やクシィの関係性にも言えることですが、今回焦点を当てられた補習メイトの三人と闇の魔法つかいの四人を通して、種族や立場を問わず今を生きる者が過去に縋り追い求めてしまう習性があることを。不確定な未来を不安視し目を背けてしまいがちであることを。
プリキュアという特別な立場にいるみらい達に限らず、誰の身にも降りかかるものであることを改めて示してくれていたように感じます。そして、同時に過去への妄執。その甘い誘惑を断ち切れる者は、そう多くはないことも示唆してくれていた。
リコが言うようにたとえ石像の状態を脱したとしても、一度浸ってしまった楽しくて幸せに満ちた時間から脱却し、過酷で不幸かもしれない未来に向かって歩き出すというのは口で言うほど容易なことではない。誰もが強い心や志をもって前を向けるとは限らない。最後まで寄り添い責任を取ることも出来ないのに現実を受け容れられない人を無理やり叩き起こすことは、果たして当人にとって本当に幸せなことなのか?
それは強いみらい達だから出来ることで、それを押し付けることはエゴになりかねないのではないか。リコが抱いていた懸念はそこまでを想定したものであり、未来ある子供たちの将来を預かる教職に携わる者としての視野を感じさせるものでもありました。大人になった今だからこそ、かつてのように無条件に、無邪気に不確定な未来の幸せを盲信することは叶わないし許されない。
絶対的な正解がある問題ではなく、だからこそ難しいことなんだけど、当時とは立場が変わった今だから出来る問題提起と切り口と言いますか。「MIRAI DAYS」でやりたいことや見せたいこと。その本質的な部分と意義が見えてくる回だったように感じます。物語的にも魔法界が全滅寸前まで一気に追い込まれ厳しい状況。ここからどう巻き返しを図り、現在のみらい達なりの答えを見せてくれるのか。物語も終盤戦に突入。本作がどのような終着点を迎えるのか最後まで見守りたい。




前作の最終回やエピローグの部分でも闇の魔法つかいの皆さんが健在であることは確認出来ていましたが、こうして今も元気にやっているところを見られただけで感無量。いや、実際この四人が再び集結して力を合わせて脅威に立ち向かうところをもう一度見られるかどうか。その個人的な願いが叶うかどうかは半信半疑なところもあったので、こうして揃い踏みするところが現実のものとなって嬉しい。
ガメッツとスパルダの二人は某ウルトラマンの如く時間制限ありでの復活でしたが、時を経て未来に向かって歩みを止めずにいた者には、こういう思いも寄らないサプライズもあるという一例ということで。クレジットで闇の魔法つかいの皆さんを演じたキャストの方々が並んでいるという事実だけで来るものがあるもの。生きていればこういう幸せもあるんだ。




一方で校長先生とクシィの関係性についてはやはり考えさせられるものがある。校長先生にとってクシィは切っても切れない間柄にある存在で、今の自分を形作る上で避けては通れない要因でもある。二人の在りし日の思い出。仲睦まじく無二の親友同士であり、志を同じくする者として互いにより良い未来を見据え「来たるべき厄災」に備えながらも、道を違えて最後には悲しい別れをも経験した苦難と苦渋に満ちた茨の道を歩んだ二人。
悲しい別離を乗り越えて再会しながらも、幸せな未来を手にすることが出来なかった二人の関係性と彼らが辿った顛末は、ある意味でみらい達と似て非なるものであり、みらいとリコにとってあり得たかもしれないもう一つの可能性を示すものでもあると思います。別離を乗り越えての再会は必ずしも夢と希望に溢れる素敵な未来にはなり得ないこともある。
校長先生とクシィの一幕は、図らずもそれを指し示す一例と見ることも出来るのだろう。悲しき物別れからの死別。どんな魔法を用いても決して取り戻すことは叶わない失われた楽しい時間。それに浸りたい。取り戻したいと願うことは…。決して悪いこととは言い切れない。だからこそ本作でみらい達の前に立ちはだかる問題は難しいのだと改めて思い知らされる次第です。
ともあれ前作の時点でも悲しい現実を象徴する二人の関係性でしたが、それを本作の特性に合わせる形で巧く話の中に組み込んできたなと。石像化してなおクシィと二人の姿形となるところに、校長先生の彼に対する思い入れの深さが見て取れるのですが、やはり校長先生にとってクシィの思い出は効きすぎる…。一視聴者である自分にとってもこのシーンは色んな意味で破壊力抜群でありました。