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デリシャスパーティ♡プリキュア 第35話 「ここねとお別れ!?いま、分け合いたい想い」 感想

デリシャスパーティ♡プリキュア 第35話 「ここねとお別れ!?いま、分け合いたい想い」 感想

ここねにとっての大事な決断と大切にしている思いの表出。

自分の気持ちを周囲にハッキリと伝えられるようになったここねの成長もさることながら、友達であるゆい達との関係性が、ここねの中で家族と同じくらい大切なものとして育まれていることが分かって嬉しくなる。マイラ王女の提案によって持ち上がった引っ越し騒動でしたが、ここね個人の成長だけでなく芙羽家全体の幸せと喜びの共有が見て取れて心地いい。

以前にも語られたようにここねが自分の気持ちを抑える。わがままを言わず周りを困らせないようにするというスタンスは、大元を辿ると彼女の叔母の何気ない一言に端を発していたわけだが、思い出のボールドーナツの件から両親に自分の気持ちを伝えることの重要性を、ここねは既に学び知っている。その上で家族との暮らしと友達との生活のどちらを取るか思い悩むからこそ、ここねの中でその二つが本当に大切なものであることが改めて浮き彫りになる。

しかし、本当に大切な二つを秤にかけ袋小路に入りかけた彼女に対し、パムパムや両親の方から手を差し伸べてくれるのも、ここねが自分の意思を伝えるようになり関係性を育んできたからであり、それは一人の中で完結していた初期のここねでは得られなかったものでもあると思います。自分の気持ちを伝え互いに理解を深め思いを共有してきた今までの日々があればこそのものなのだと。

ここねが自分の気持ちを力強く伝えられるようになったのと同じように、今回はゆい達やここねの両親からもここねに対してハッキリと気持ちが伝えられている。お弁当のシェアにしてもそうだし、いなくなるここねに頼ってはいけないと言ったプレシャスの思いにしてもそう。それらに対するここねの返答からも初期からの成長を感じさせてくれるところだし、ここねが一緒にいたいと改めて自分の意思表示をしてくれることで、双方のより強い結びつきを感じさせてくれた。

また、ここねの両親が娘が悩んでいることを察し、本当の気持ちを打ち明けてくれるよう促してくれたのも、思い出のボールドーナツの件があればこその対応で、ここねだけでなく両親も含めて互いの意思疎通の重要性というか。気持ちを伝え合い共有する。食事だけでなく楽しいことや嬉しいこと、不安や悩みも分け合うことの意義を伝えてくれていたように感じました。

最終的には母はつこさんが単身赴任という形で父がここねの元に残ってくれたけど、これもここねが自分の意志を示したからこその形であり、仮に初期のように自分の内に思いを抑え秘めたままであったのなら、こういう形にはならなかっただろうし引っ越しという形になっていたかもしれない。そういう意味でこの決着はここねの内面的な心持ちの変化を示すだけでなく、自分の意思と思いをハッキリ伝え合ったからこそ、離れていても心は一つであることを、より強調する形になっていたんじゃないかな。

ここねの精神的な成熟とそれに伴う変化。高嶺の花であった芙羽様ではなくクラスメートとして皆と打ち解けているここねの姿。パムパムや両親との接し方や積み重ねてきた時間。4話5話、そして23話のここねメインエピソードで描かれ育まれてきた一連の流れ。その一つの集大成となるようなエピソードだったのではないかと思います。食だけに留まらないシェアすることの喜びと意義。分け合う美味しさを焼き付ける芙羽ここね/キュアスパイシーならではのお話でした。

ここねがパムパムに対して思いの丈を打ち明ける銀杏並木のシーンが凄く良かった。独創的で荘かな雰囲気の中で醸し出される空間作り。銀杏の花を手のひらに収めるシーンの動きも印象的でしたし、迷えるここねを優しく包み込んでくれるようなパムパムの存在感が、寒々とした空間とここねの心に一筋の光を、一種のスパイスを与えてくれているようで和みをもたらしてくれていて。

ゆい達や両親にも見せられない。ここねの弱い部分や涙を受け止めてくれる。パートナー妖精としてのパムパムの本懐を見た思いでいっぱいなのです。

今回は作画のメリハリがいつも以上に効いていた印象を受けたのですが、ここねの去就に際してゆい、らん、あまねがそれぞれ見せていた反応もまた印象深かった。ここねを除けばデパプリチームの中ではクール側に属すると思っていたあまねが、何気に一番冷静さを欠いていたり。プリキュア変身時もプレシャスとヤムヤムに引っ張られるようにギャグ寄りの顔を見せてくれたりね。

決めるところは決めてくれていたが、諸事情あって心の内に思いを留める傾向にあったあまねもね。ここねと同様に自分の気持ちや思いが表面上に出やすくなってきたのかなと。それもゆい達と共に過ごしシェアする喜びと意義を知ればこその反応で。だとすればこれらの描写もまた尊きものの一例と見ることも出来るのかなと思えた次第です。